Prelude to a love

愛を知るまでの記録

持ってないことを自慢する

 

Less is more(レスイズモア)

 

というミニマルなスピリットに初めて触れたとき、

そのときはすでにわたしの身の回りのものはずいぶんと減ってスッキリというよりはやや殺風景な部屋になっていた。でもおかげで掃除も片付けも短い時間で済むようになって、使いたいモノにすぐ手が届くようになって、モノの循環が良い感じで起きはじめていた。だから、Less is more、ホントそうって。

 

モノやヒトに執着しない生き方に憧れて始めた断捨離も2年ほどかかったけれど衣類や本、収納ケースや家具に至るまで処分した。

 

あんなに買い込み溜め込みすぐ飽きて着なくなった服、

履きこなせないほどある靴、しかも足が痛くなっちゃうやつ。

もう聴かないだろうなCDとか積んであるだけの本とか教材とか。

婚礼箪笥2棹は、母には申し訳ないと思いながらも。

 

衣類や本は古着屋や古本屋に引き取ってもらえてすんなりと手放せたけれど、収納ケースや家具の処分はそうすんなりとはいかず。業者に連絡して引き取り日と時間を決めて有料で引き取ってもらったりして、なんだかあの時はすごく必死だった。

 

あの必死さはなんだったんだろうな、

と今となっては可笑しくさえあるけど。

 

自分を変えたかったんだろうな。

 

モノとの関係性を見直すことで自分の在りたい姿を露わにしたかったんだろうな、そんな気がする。

 

実際、わたしの日常着はミニマリストによくみるシンプルで着心地重視のスタメンだけで補欠は1着(会社に履いていけないGパン)。

 

トップスとボトムスそれぞれ5着ずつ月曜〜金曜までの5日分がクローゼットに掛かっているというそこそこスカスカ状態。増えもせず減りもせず、変わり映えのない日常と日常着。

土日のどちらかでまとめてアイロンをかけて1週間に備えている。減らすと迷わないのも時間に優しい。

 

でも今日ふと、かけているアイロンの手が止まり、

 

「上下10着って多いの少ないの?」って誰かに聞いてみたくなった。否、そうじゃない、聞いてみたいってわけじゃなくて「10着だけなのよ」って自慢したくなったというのが正直な気持ち。

 

だってあーんなにあったのよ服。

わたしにしかわからないことだけど。

 

Less is moreというスピリットは実際にモノを減らしてみないとわからない。

 

大事なことは服の数ではなくてそのスピリット。

スピリットは誰かに見せびらかすものではないし。

むしろ目には見えないからこそ、日常への感性を高めて暮らしたいと思った曇りの日。