Prelude to a love

愛を知るまでの記録

時期尚早

 

シングルタスクを心掛けている、というと聞こえがいい。

 

そもそも不器用でマイペースな人間なのに、

マルチに多くのことをこなそうとしても出来ないのだった。

 

やろうとして失敗する、やろうとしてすべてが中途半端に終わる。

より良いものを手に入れようとして何も残らない、

一円でも得をしようとして、多くを天秤にかけバランスを失う。

今までの人生はこんなことの繰り返し、情けないったらないわ。

 

その証拠に何も残っていない、何も築けていない、何も持ってない。

愛もお金も信用もないまま齢50を過ぎてしまって、情けないったら、もう。

 

ところが近ごろは、これらの情けない思いとは裏腹に、なんにもない自分というのが意外に清々しくて悪くない。どんだけおめでたい頭してるのかしらね、と自分でも笑ってしまうほど、サッパリしててあぁ愉快愉快。

 

持っていないことを愉快に思う人生なんて、やっぱりどうかしてるね。

だとしても、人生の半分を過ぎて、自分以外はなんにもないってことを知れたのは、儲けもの。なんにもできなくて結構結構。

 

多くを使い、多くを手に入れ、多くを持ち、自分以外をコントロールしようと必死だったときは、自分の執着心に気づかなかった。

身の回りに多くのものがあり過ぎて、一番大事にしなくちゃいけない自分が見えなくなって、他の誰かになろうとして、土台無理なことをやろうとしていた。

 

自分以外のなにものでもないのに。

 

気づくのに、早いも遅いもないし、

人生の、今ある全てに理由があるわけだし、

マルチタスクができない理由、シングルタスクで生きる理由は、人聞きの良し悪しであるはずもない。

 

きっとこの先、また多くを持ちたいと思う日は来ないでしょう。

多くを持っている人を羨ましく思うこともないでしょう。

 

自分が自分で居ると、他人にわざわざ主張することがなくなってしまう。

 

ブログで発信したいことはなんだったのかしら?

つい数ヶ月まえの「書きたい思い」はどこにいってしまったのかしら?

ブログを書くこと自体が、わたしには重すぎるタスクだったのかしら?

物忘れが加速しているだけなのかしら?

 

本棚と本を読む時間

読書家というほど本の虫というわけではない。

 

本が好きという程度で、読むのも遅いし、好みも偏っている。

それでも本を読まない日はほとんどなく、平日は通勤電車で読み、休日は自室やカフェで読むことが習慣になっている。

 

ところが、コロナの収束とともに通勤電車は以前にも増して混んでおり、とても本を読める状況ではなくなった。

読むのが遅いうえに、さらに本を読む時間が限られてきて、一冊の本を読み終えるまでに数日かかってしまう。

 

この現状に合わせて買う本の量をセーブしたい、というかセーブしなきゃなって思うのもつかの間、本屋へ立ち寄れば、あれもこれもと数冊買ってきては積読、という有り様。

 

なんか申し訳ない気持ちになるのよ、本に対して。

 

本たちが、わたしたちは大丈夫ですよ、お気になさらずに。あなたが読んでくれる日が来るのをここで静かに待っていますよ、って言ってくれてるって、本が。という都合のいい妄想ばかりしていて。

 

 

本棚には3つのゾーンがある。

 

1つ目はすでに読んだ本あるいはこれから読むつもりの好きな本。

2つ目は何度も繰り返し読んでいるバイブル的な本。

3つ目は読めるようになりたい野望の本。

 

シンプルな暮らしを心掛けているといいながら、近ごろの本棚は野望に満ちていて落ち着きがない。

こうなったらいいなと思う理想の本棚は、2つ目のゾーンがあれば十分と思えるマインドになれば叶うはずなのに。

 

持ってないことを自慢する

 

Less is more(レスイズモア)

 

というミニマルなスピリットに初めて触れたとき、

そのときはすでにわたしの身の回りのものはずいぶんと減ってスッキリというよりはやや殺風景な部屋になっていた。でもおかげで掃除も片付けも短い時間で済むようになって、使いたいモノにすぐ手が届くようになって、モノの循環が良い感じで起きはじめていた。だから、Less is more、ホントそうって。

 

モノやヒトに執着しない生き方に憧れて始めた断捨離も2年ほどかかったけれど衣類や本、収納ケースや家具に至るまで処分した。

 

あんなに買い込み溜め込みすぐ飽きて着なくなった服、

履きこなせないほどある靴、しかも足が痛くなっちゃうやつ。

もう聴かないだろうなCDとか積んであるだけの本とか教材とか。

婚礼箪笥2棹は、母には申し訳ないと思いながらも。

 

衣類や本は古着屋や古本屋に引き取ってもらえてすんなりと手放せたけれど、収納ケースや家具の処分はそうすんなりとはいかず。業者に連絡して引き取り日と時間を決めて有料で引き取ってもらったりして、なんだかあの時はすごく必死だった。

 

あの必死さはなんだったんだろうな、

と今となっては可笑しくさえあるけど。

 

自分を変えたかったんだろうな。

 

モノとの関係性を見直すことで自分の在りたい姿を露わにしたかったんだろうな、そんな気がする。

 

実際、わたしの日常着はミニマリストによくみるシンプルで着心地重視のスタメンだけで補欠は1着(会社に履いていけないGパン)。

 

トップスとボトムスそれぞれ5着ずつ月曜〜金曜までの5日分がクローゼットに掛かっているというそこそこスカスカ状態。増えもせず減りもせず、変わり映えのない日常と日常着。

土日のどちらかでまとめてアイロンをかけて1週間に備えている。減らすと迷わないのも時間に優しい。

 

でも今日ふと、かけているアイロンの手が止まり、

 

「上下10着って多いの少ないの?」って誰かに聞いてみたくなった。否、そうじゃない、聞いてみたいってわけじゃなくて「10着だけなのよ」って自慢したくなったというのが正直な気持ち。

 

だってあーんなにあったのよ服。

わたしにしかわからないことだけど。

 

Less is moreというスピリットは実際にモノを減らしてみないとわからない。

 

大事なことは服の数ではなくてそのスピリット。

スピリットは誰かに見せびらかすものではないし。

むしろ目には見えないからこそ、日常への感性を高めて暮らしたいと思った曇りの日。

 

当たるも八卦当たらぬも八卦

GW中の予定はひとつもない。

 

いつものこと。

自分がどういうタイプの人間なのか正直よくわからない。

アウトドアも決して嫌いじゃないけど協調性のない横着者だから不要不急なのに支度をして出かけるなんて億劫だなとか、ずっとそんな感じ。

だれかと会う約束をしたり、外食を楽しんだり、コンサートなどの音楽鑑賞や旅行、なんかしらのアクティビティは極力避けて、ひとりでぼんやり過ごしているほうがいい。

そのほうが気楽で自由で疲れない。

SNSはしない。繋がりたいという思いより傷つきたくないという思いのほうが強くて露出できない、怖い。怖くて他人を見ないようにしてきたからSNSに対するリテラシーなど全くない。そうやってひきこもりのようなマインドで内側にこもって生きている。

 

ときどき見る石井ゆかりさんのLine Blog占いに今夜は新月と書かれていた。

 

占いが当たる当たらないということより、石井ゆかりさんの言葉や文章に惹かれて週間占いを見るのが習慣。さらに月の初めには今月の空模様と題して一か月の星回りを星たちの動きに合わせて地球人へメッセージを送ってくれる。それを読んで抽象的な言葉を自分の具体的な現実に落とし込むのが好き。抽象的すぎて意味わかんないことも多いけど。だから今日ももれなく夕方ごろになって5月全体の空模様と週間占いをゴクゴク読む。

 

一部抜粋

☆☆

 

5/1 新月 日食です。

ハートの中に何かが弾けるような新鮮な動きが起こったのではないでしょうか。何か新しく仕切り直して始めるぞ!みたいな気持ちになったなら、その気持ちがいろいろなハードルやカベを超えていく力に直結しそうです。

石井ゆかりオフィシャルブログ~より

 

☆☆

 

今日は一日中雨で肌寒く、家の中で過ごすのにぴったりな休日だったけど、朝目が覚めたときからなんとなく「よし!」みたいな力を感じてて、ずっと後回しにしていたシャツのボタン付けとかアイロンがけとか断捨離とかしながら、今までずっと避けていたSNSInstagramアカウントを作って投稿したり早速いいねもらったりして、今まで知らなかった世界のあたたかさを知ったような気になった。あんなに怖かったのに・・・。

 

ユーミンの歌の歌詞に「目に映るすべてのことはメッセージ」と歌われているように、

自分で取りに行ったネット情報ではあるけど、発信される言葉の受け取り方、意味づけ方はすべてわたしの中にもともとある人間力に比例して現実が起こっていくんだな。

この先のハードルやカベ、どんと来い!

 

新月の夜に相応しいはじまりのマインド。

 

雨による浄化。

 

愛を知る一歩手前で

 

初投稿、はてなブログ記事を書く。

 

まだはてなProへの申し込みも完了していないっていうのに、とりあえず一記事を書いてみる。ほとんど手探り。

ブログページのデザインもプロフィール画像もなにも用意できていないけど、まずは書き始めて、これからの第一歩としよう。

 

今日はここまで。よくやった。

 

今夜は天秤座の満月。

わたしは10月生まれの天秤座。このタイミングでブログを立ち上げようと思えたのは、きっと神様の思し召し。

 

人生の半分を過ぎても、自分の人生を思い描けずに、変化が怖くてずっと同じ場所から他人の人生を眺めているだけ、他人のブログを読んでいるだけ。もうそんなの止めたいと思っててもなかなか行動に移せずに十数年が経ってしまった。

 

今、とても困っている状況ではないけれど、人生で本気になって取り組んできたことなど、なにひとつなく、なんとなく生きてきてしまったことに後悔している。

きっとこのままでも生きていける。

でもきっと後悔ばかりの人生になってしまう。

だから今ここで、ただちに後悔の念は手放して、自分の人生に本気になりたい!っていう心の叫び声をちゃんと聞こうという気になった。

 

せっかくこの世に生まれたきたのだから、幸せになりたい。

せっかくこの世に生まれてきたのだから、愛を知りたい。

 

苦しみや痛みや不安は愛を知るためにあるって、本で読んだ。

愛を知るまであと何歩?

何歩どころか、果てしなく遠い道のりなのかも知れない。でも、それでも、愛ってなんなのか知ってからこの世を去りたい。

 

ブログを通して自分の人生にコミットする。

本気の時間を持ってぶれない自分をつくる。

疲れた時は自分を大いに甘やかす。

 

ブログのテーマはそのときどきの興味や好奇心でコロコロと変わっていくだろうけど、一貫して根底にある「愛」について独り言ちたり、だれかに問いかけたりして、これからの残りの人生をユーモアで彩りながらデザインできたらいいなと思う。

 

公開するボタンをポチっと。