シングルタスクを心掛けている、というと聞こえがいい。
そもそも不器用でマイペースな人間なのに、
マルチに多くのことをこなそうとしても出来ないのだった。
やろうとして失敗する、やろうとしてすべてが中途半端に終わる。
より良いものを手に入れようとして何も残らない、
一円でも得をしようとして、多くを天秤にかけバランスを失う。
今までの人生はこんなことの繰り返し、情けないったらないわ。
その証拠に何も残っていない、何も築けていない、何も持ってない。
愛もお金も信用もないまま齢50を過ぎてしまって、情けないったら、もう。
ところが近ごろは、これらの情けない思いとは裏腹に、なんにもない自分というのが意外に清々しくて悪くない。どんだけおめでたい頭してるのかしらね、と自分でも笑ってしまうほど、サッパリしててあぁ愉快愉快。
持っていないことを愉快に思う人生なんて、やっぱりどうかしてるね。
だとしても、人生の半分を過ぎて、自分以外はなんにもないってことを知れたのは、儲けもの。なんにもできなくて結構結構。
多くを使い、多くを手に入れ、多くを持ち、自分以外をコントロールしようと必死だったときは、自分の執着心に気づかなかった。
身の回りに多くのものがあり過ぎて、一番大事にしなくちゃいけない自分が見えなくなって、他の誰かになろうとして、土台無理なことをやろうとしていた。
自分以外のなにものでもないのに。
気づくのに、早いも遅いもないし、
人生の、今ある全てに理由があるわけだし、
マルチタスクができない理由、シングルタスクで生きる理由は、人聞きの良し悪しであるはずもない。
きっとこの先、また多くを持ちたいと思う日は来ないでしょう。
多くを持っている人を羨ましく思うこともないでしょう。
自分が自分で居ると、他人にわざわざ主張することがなくなってしまう。
ブログで発信したいことはなんだったのかしら?
つい数ヶ月まえの「書きたい思い」はどこにいってしまったのかしら?
ブログを書くこと自体が、わたしには重すぎるタスクだったのかしら?
物忘れが加速しているだけなのかしら?